いまどきのウェルテル


5年くらい前に読んだ本ですが。

この作品、表面的には人妻に寄せる思い詰めた心情を描いたもののようですが、その実「信仰を受けいれる」ということをテーマにしているのではないかとBACは思います。

クリスチャンが「イエス=キリストを受けいれますか?」と言うとき、BACが思うに次のような意味を含んでいると感じています。

  1. 聖書の物語を受けいれること
  2. 人格を受けいれること
1.については「物語を受けいれることは、信仰の要件ではない」ということでBACの中ではケリがついているのですが、2.については微妙な想いがあります。

ひとつには、他人にそのように問うことは、やり方によってはかなりえげつないのではないかということ。
受け手は場合によってはウェルテルのようにひどく苦しむかもしれません。それをわかっててやるとしたら、どうなの?ということです。
旧作のエヴァンゲリオンもそのあたりをがっつり描いていたんじゃないでしょうか?

もうひとつは、信仰のあり方に関する疑問。

文庫版ウェルテルの解説では、後年のゲーテの言葉が紹介されています。

「『ウェルテル』は、厭世という病的状態から生まれたものであり、あの時代の病的風潮であったセンティメンタリズムを文学的に記録した小説である」

確かに、人格を拒むのは、自ら物語を紡ぐことができていないことからくる、センティメンタリズムに過ぎないかも知れないと思います。
とはいえ、受けいれる、というのにも違和感を感じます。
BACが思うに、拒むでもなく、受け入れるでもなく、静かに向き合えばよいではないか。

自分の中のちっぽけな人格と向き合うことができれば、自ずとそのようになるのではないか?
あるいは、拒んでも、受け入れても、自らまともな物語を紡ぐことは出来ないのではないか?
そんな想いがあります。
それを問うのが、BACの現在における信仰。


蛇足ですが、先日、新作エヴァの第2話を観てきました。
登場人物達は旧作でくどくどと描かれたメンタリティーを軽くクリアしていて、物語は別の方向に進んでいるようです。
観客はオタクっぽい人は少なく、カップルが多かったです。旧作よりも健全な作品ということなのでしょうか?
が、カップルがそろいもそろってひとつの物語に浸っている様子も気持ち悪いですな。

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