2009年7月アーカイブ


5年くらい前に読んだ本ですが。

この作品、表面的には人妻に寄せる思い詰めた心情を描いたもののようですが、その実「信仰を受けいれる」ということをテーマにしているのではないかとBACは思います。

クリスチャンが「イエス=キリストを受けいれますか?」と言うとき、BACが思うに次のような意味を含んでいると感じています。

  1. 聖書の物語を受けいれること
  2. 人格を受けいれること
1.については「物語を受けいれることは、信仰の要件ではない」ということでBACの中ではケリがついているのですが、2.については微妙な想いがあります。

ひとつには、他人にそのように問うことは、やり方によってはかなりえげつないのではないかということ。
受け手は場合によってはウェルテルのようにひどく苦しむかもしれません。それをわかっててやるとしたら、どうなの?ということです。
旧作のエヴァンゲリオンもそのあたりをがっつり描いていたんじゃないでしょうか?

もうひとつは、信仰のあり方に関する疑問。

文庫版ウェルテルの解説では、後年のゲーテの言葉が紹介されています。

「『ウェルテル』は、厭世という病的状態から生まれたものであり、あの時代の病的風潮であったセンティメンタリズムを文学的に記録した小説である」

確かに、人格を拒むのは、自ら物語を紡ぐことができていないことからくる、センティメンタリズムに過ぎないかも知れないと思います。
とはいえ、受けいれる、というのにも違和感を感じます。
BACが思うに、拒むでもなく、受け入れるでもなく、静かに向き合えばよいではないか。

自分の中のちっぽけな人格と向き合うことができれば、自ずとそのようになるのではないか?
あるいは、拒んでも、受け入れても、自らまともな物語を紡ぐことは出来ないのではないか?
そんな想いがあります。
それを問うのが、BACの現在における信仰。


蛇足ですが、先日、新作エヴァの第2話を観てきました。
登場人物達は旧作でくどくどと描かれたメンタリティーを軽くクリアしていて、物語は別の方向に進んでいるようです。
観客はオタクっぽい人は少なく、カップルが多かったです。旧作よりも健全な作品ということなのでしょうか?
が、カップルがそろいもそろってひとつの物語に浸っている様子も気持ち悪いですな。



神社下

今日はBACの3週にわたる筑波山トレーニング最終回。
予告通りチャリで行くとのこと。ボクも同伴してきました。

美幸ヶ原

ま、ボクは歩かないから、らくち〜ん♪

女体山頂

でも、今日は空気がカラッとしていて眺めもよく、BACもご機嫌でしたよ^^



筑波山

今週末もトレーニングのために筑波山に登ってきました。
写真は田んぼの中を3kmほど一直線にのびる道。
気持ちがいいので、筑波山に行くときはほとんどいつもこの道を通ります。
この日は曇ってどんよりしていましたが、梅雨だから仕方がありません。
夏は稲の緑が美しく、秋は稲穂が芳しいんですよ。

この道も筑波山までずっと真っすぐに続くわけではなく、このあと古い集落に入り、筑波道と呼ばれる参道をゆくことになります。そして、筑波山神社が近くなるにつれて道は急峻になります。昔は石段だったらしいのですが、今は舗装されて車で登れてしまいます。

トレーニングはつつがなく終了。前の週よりもだいぶ楽に登れました。
来週はチャリで行こうかな。

帰りにつくし農園に寄ったら、農場主にサッカーに誘われました。
サッカー好きの友人が中心になって人を募っているのだそうです。ちょっと疲れていましたが、BACも久しぶりにボールを蹴ることにしました。

まあ、わかっていたことですが、登山よりもこちらの方が慣れていないこともあってハードでした。
それにしても、サッカーマンたちは実に爽やかです。キビキビと大声を出して動き回らなければ出来ないスポーツですからね。のそのそと山に登っているBACとはひと味違いました(!!)

トレーニングがあまり好きではないBACですが、月末の登山はこれも久しぶりのテント泊。
気合い入れていかないとね↑



霧筑波

先の日曜日は、筑波山にトレーニングに行ってきました。
今月末に会社の人達で鳳凰三山に行くので。

霧の中、ダッシュで往復、約3時間。
久しぶりに運動したのでへろへろになりましたが、いい汗かきました。
ようやくエンジンがかかったもよう。
リーダーなので計画も詰めないと。

神社からの直登は、実は初めてでした。

そして男女川(みなのがわ)源流の湧き水を飲んできました。

筑波嶺の 峰より落つる 男女川

恋ぞつもりて 淵となりぬる

有名な百人一首の歌。
これに対して、ちょっと身の丈にあわない歌を返すなら・・・

男女川 やがて至らん 淵なれど

巌ゆきつる 清水こそあれ

寞庵



海の主

コータ
「・・・・・・」



book1

book2

2009年の今年は、TKB暦25年。歴史がはじまってから四半世紀が経ちました。
TSUKUBA EXPO '85が開催された御幸が丘は、現在のBACの職場です。

この数日、村上春樹さんの最新作、"1Q84"にはまっていました。
人は、物語に沿って物事を体験する性向があるといいます。
BACは必ずしもそのようなありかたをよしとはしませんが、自分にとって意味ありげなキーワードをついつい拾い上げて読んでしまいました。
この作品にはそんな魔力めいた力があると思います。

青豆

筑波大学第一学群自然学類

小松

小説家

さなぎ

十歳年上の人妻

絵里子

二四六号線

プチトマト



山羊



ハーブティー

農場

証人会

ブルゴーニュ

二十六歳のとき

コンジャクモノガタリ

広尾

「そこは君自身の家で、君は逃げ出した自分自身を待っているのかもしれない」

「私は過去だとか歴史だとか、そんなものを書き換えたいとはちっとも思わない。私が書き換えたいのはね、今ここにある現在よ」

天吾がやらなくてはならないのはおそらく、現在という十字路に立って、過去を誠実に見つめ、過去を書き換えるように未来を書き込んでいくことだ。

高円寺

猫の町

テントウムシ

限定された条件のもとで

いろんな方法を試すのが好きだった

大丈夫、あなたには私がいる

しかしほどなくトオルは失われる


もちろん、現実のBACの世界とは微妙に(かなり)異なりますが。

「で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えてくるかもしれない。私にもそういう経験はあります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」

BOOK2の最後、主人公の天吾は昏睡状態の父の耳元で、自身のことを語り続けます。
それが礼儀のように感じて。

BACが、親類が読んでいるのを承知の上であけすけなブログを書くのも、これまでさほど意識してきたわけではありませんが、ある意味同じようもの。
いわば、法人に課せられた会計報告。
必要のないことは書きませんが。


"僕は必ず君をみつける"


BOOK3が気になります。



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