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2008年01月26日

Culture

培地(medium)を使って微生物や細胞を育てることを培養(culture)といいます。

細胞培養の場合、mediumの中には、糖、アミノ酸、脂質、ビタミン、塩が入っています。
特に必要最小限の栄養素が入ったものをminimum essential mediumといいます。
通常これに抗生物質やホルモン(血清)を添加して用います。
培養皿に入れた培地の中で細胞を培養すると、その種類にもよりますが、どんどん増殖するので、定期的に一部を捨てます。
また、栄養素が消費されるので、培地の交換も行ないます。
これを継代といいます。

 

ところで、人間の世界でcultureといえば、文化とか教養を指しますよね。 

現代の日本は「権利・義務の平等の下、活用できるものは可能な限り効率よく利用し、新しいものを創ろう」という文化なのだと感じます。
BACはそれに対して、さほど異を唱えるつもりはありません。
ただ、「清貧を追求する」・・・それが目的ではないけれど、時にはminimum essentialとはなんであろうか?と考えてみるのも大事なことだと思います。
「健康で文化的な最低限度の生活」って何よ?と。

某政党は「生活が第一」というスローガンを掲げていたけれど、それだけでは意味を成さない。「人が生きるとはどういうことで、そのために必要なものとは何か?」という問いと答えはどこにあるのか。
「自然農」はそんなことを考えてみるきっかけにはなると思っています。
また、それが農園の主、小松さんの願いでもあると理解しています。

ところで、以前の記事で「継ぐべき家なんてない」と書きました。
とは言うものの、ここ2ヶ月BACが下宿しているのは現在は老人ホームにいる父方の祖母の家。
その文化、教養に直に接しています。
清潔に保たれ、暖をとることができる部屋があり、2世帯住宅の2階からは叔父夫婦と従兄弟の笑い声が聞こえてきます。
BACの使っているベッドは祖母が使っていたもので、その枕元には曾祖父母と思しき人たちの古びた写真が飾られています。
なんでも自分で作ることが好きだった、一昨年亡くなった祖父の手による家具がたくさんあり、仏壇に毎朝手を合わせる叔父がいる。

素敵な家だと思います。

でもBACはこうも思います。

一番えらいのは、必要最低限のものも十分に得られない中、本当に生きた(生き残った)人なのではないか、と。

だからというわけでもないけれど、BACが死にそうに(比喩)なっていたときに、助けてくれた人(達)に、それが誰であろうと、心から感謝します。

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2008年03月23日

カメラ小僧

いままで、ブログを書いているにもかかわらず、デジカメを持っていなかったので、ケータイのカメラで撮影していたのですが、満足できなくなってきたので、思い切って買ってしまいました。

本日は被写体を求めて、久しぶりに"SALON DES CENT"に行ってきました。

salondescent02.JPG

ミュシャの絵が心を和ませる、相変わらず、素敵なお店です。

salon-counter02.JPG

カレーも芸術的。

curry.JPG

食後の一服。

coffee.JPG

このお店、なぜかガンプラも置いているんです。マスターが不思議な人なので・・・。
金色の百式(改)でございます。

type100.JPG


それにしても、このカメラ、ヤヴァ過ぎる。
camera
カウンターで隣に座っていたお客さん、
「リコーのR7?あ、R8!?最新機種だ!!!触らせてくれ~~~!!!」
だって。
ちなみに、カメラケースが付いていなかったので、青いフェルトで自分で作りました。
すでに、愛着、わきまくり♪

これからは、写真にも注目してくださいね♪
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2008年04月06日

テラビシアにかける橋

テラビシアにかける橋」という映画を、しばらく前に、観にいってきました。
1977年に出版されてヒットした同名の小説の映画化です。
BACはあらすじも知らぬまま、ふらりと映画館に足を運んだのですが、期せずして心を動かされてしまいました。
映画としても、素晴らしい出来栄えだと思います。

ストーリーはここではあえて紹介しません。

作品中では、小学校の音楽の先生がギターを弾いて授業をするシーンが何度かあるのですが、その曲が印象的だったので、サントラだけ紹介します。

310SeAb648L._SL500_AA192_.jpg

人は周囲の状況によって、それを強いられているかのように、心にベールを張ってしまいがちなもの。
本当はその思いを開放したいのに、無意識の奥にしまいこんでしまう。
でも、そんな必要はないんだよ、よかったら教えてくれる?
そのように、優しく語りかけてくる作品です。

だから、それを教えてくれた、大切な人と一緒に観ることをオススメします。

DVDは2008年6月27日発売予定です。

ちょっと興味をもってもらえたら、
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2008年07月28日

You're My Best Friend

先の記事で綴った友人たちに贈る歌。
そして、あなたにも。
原詩はこちら

「You're My Best Friend」

あなたはわたしの生きる力

他にどんなものを与えられたとしても

あなただけをわたしはみている

あなたのおかげで 今 わたしは生きている

あなたのおかげで


あなたは最高の相棒

これまでに決していなかった

永いことあなたと共に在って

わたしを照らしてくれた

わかってほしい

この想いに偽りのないことを

あなたを本当に愛している

あなたは最高の相棒


あなたはわたしの生きる力


わたしはぐるぐるとさまよっていたけれど

いまもこうしてあなたのもとにいる

雨の日も晴れの日も

あなたはわたしのそばに立っていた

ここがわたしの居場所なんだね

あなたは最高の相棒


あなたはわたしの生きる力

どんなに絶望的なときでも

それを受け止められるように支えてほしい

あなたのおかげで 今 わたしが生きているように

あなたのおかげで


あなたが最初のひと

世界が暗転するようなときも

わたしが孤独ではないことを知っている

わたしにはあなただけ

そしてあなたがすることも本当に愛している

あなたは最高の相棒だから


あなたはわたしの生きる力


ここがわたしの居場所

あなたは最高の相棒

そして生きる力

あなたはわたしの最高の相棒



久しぶりの試訳ですが、どうですか?
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2008年09月15日

満月が近づく前に

sususki

ちょうどいいタイミングで「ポニョ」を観にいってきました。

ジブリ好きな友達と2人で。

「千と千尋」「ハウル」にひきつづき、ジブリ作品を2人で観るのが恒例行事になってしまったようです。

でも、30過ぎの男二人でというのは、やっぱり少しはずかしいですね。駅前で待ち合わせているときに前の会社の同僚夫妻と子供にばったりあって、ちょっと・・・でした。


それはさておき、映画の感想をば。

BACはひとつの別の作品とリンクさせながら観ました。

時をかける少女

時間を過去に戻す「タイムリープ」という能力を身につけた高校生の女の子が主人公のおはなしです。
女の子は、当初、自分の能力に戸惑いますが、慕っている魔女叔母さんに「年頃の女の子にはよくあることよ」とお墨付きをもらい、以来、やりたい放題。

ちょっと困ったことがあると、

「それ、なかったことにしま〜す」

を使いまくります。

が、ある日、友達の男の子に、

「お前、タイムリープ使ってね?」

と指摘されて、ギクリとします。


「タイムリープ」、それは一つの比喩であり、実際そういうことができちゃったりもするのだけれど、本当はそれによって傷つく人がいて、それが取り返しのつかないことだったりするもの。

「年頃の女の子にはよくあることよ」という叔母さんの言葉を苦々しく感じる男の子も多いのではないでしょうか?


さて、翻って「ポニョ」。
世界を救うための2つの条件が提示されます。

  1. 女の子は魔法を使ってはいけない
  2. 男の子は迷ってはいけない

まあ、そうかも知れませんね。

波の上を全力で走ってくるポニョに、なんだか泣けました。

2008年09月28日

shizennoh

nohfu

自然農といわれるものを始めて、3シーズン目。

今年は新しい土地を開拓したということもあって、育つもの、育たないものの差が激しかった。

BACの畑で比較的うまくいったのは、オクラ、二十日大根、人参、ネギ、落花生(まだ収穫していないので最終的にはどうなるかわからない)。その他は軒並み育ちが悪く、収穫に至らないものも多かった。

ninjin1

rakkaseinoha

okuranoki

管理人の「雑草屋」さんも少し悩んでいるみたいだ。

農業は土作りが大事、といわれるけれど、自然農のやりかたでは、その土地まかせ。雑草を自然の堆肥として土地に微生物を育み、それらによって栄養素が土地に固定されることだけを頼みにしている。当然、その土地の生態系に沿わない作物は、あまりよく育たない。なにより、慣行農法のように化成肥料をやる場合と比べて、必須の栄養素が圧倒的に少ない。

でも、そのようなやり方に対して、BACはそれなりの合理性を感じて、面白さを見いだしている。

慣行農法では、雑草は栄養分を奪ったり、作物の生育を阻害するものとして嫌われるけれど、それは慣行農法の観点からすればそうなのだけれど、殊、自然農のやりかたから観れば、土地を肥やしたり、地温を保ったり、作物に対する病害虫の大発生を抑えたりと、益となる役割も少なからず担っている。

益と害。生物というのは、その平衡のもとで生きているのだということを観察して、それを楽しんでいるのかもしれない。

ところで、「自然農」ってなんぞや。

福岡正信さんの「自然農法」と、川口由一さんの「自然農」の間でも、考え方が違うように思う。

BACの理解では、前者は「育つものが自ずと育つ」、後者は「必要以上に手を加えずとも、作物は自ずと育つ」という思想あるいは事実の表現ということ。前者は収穫することは度外視しているのに対して、後者は収穫することは念頭に置いていて、必要な手を加えることには寛容。そして両者に共通するのは、人も自然の恵みと一体で生きているのだということを、表現している事。
それに伴ってと言っていいのかわからないけれど、「農業」から、人の「業」を無化して自然に一体化させる意志を両者に感じる。「業=エゴ」とみなして。

でも、農耕というのは狩猟採集とは根本的に異なっていて、人のエゴとは切っても切りはなせないものではないか。農耕が、人の育てたい物を育てるという特徴をもっているという点において。また、もっといえば、農耕に限らず狩猟採集だって、人のエゴとは切り離せない。生きるために必要なものを得る、という点において。

BACが思うに、釈迦にせよイエスにせよ、エゴがなかったかと言えばどうか??と思う。そうではなくて、エゴに身を委ねて破滅に導くことを問題視したのではないのか。そして、エゴから自由であれと説いた。
エゴは必ずしも否定しなければならないものではないし、必要なものを得るために必要な手をかけることは、むしろ自然なのではないか。植物や動物もそうやって生きている。

BACはあえて名付けるなら、そんな自由農をやりたいのかもしれない。

育つものが育てばよいというだけならいざ知らず、作物を育てるためには人の愛情が必要。
いろいろな人の畑をみて、畑の主体は人だという事もよくわかった。
もちろん、自然の恵み(太陽や水、生態系)が大前提だけど。

 

全然話は変わるけれど、自給自足ってなんじゃらほいと思う。

BACの身の回りにあるもの、食べるもののほとんど全ては、他の人がつくったもので、それは分業によって成立している。BACもなにか仕事をすることによって対価を得て、それと交換することによって、手に入れている。自分に外での労働力としての価値がなければ、自分で作らなければならないし、自分で作れなければあきらめるしかない。

と考えたとき、自分でなにが作れるのだろうかと思いめぐらす。

種がなかったらどうする、化成肥料がなかったらどうする、とか。

最終的には、自分が動けなくなったらどうする、となる。

うーん・・・。

それはそれで、示唆するところがある気もするけれど、日頃は○○があったら、○○ができたらどうする、というように、建設的に考えたいものだ。

さて、来期はBACの畑、どうしようかな!

2008年11月09日

sing a song

うたをうたおう

朗らかに

心を込めて

これでいいの

悲しみはさようなら

そうやってうたうの

そうすれば生きていける

あんまりだとしても

きっと誰かが聴いているから

だからうたをうたうの

 

うたをうたおう

そうすれば世界は動きだすから

ありのままに

あなたとわたしにむけて

うたをうたうの

そうすれば生きていける

あんまりだとしても

きっと誰かが聴いているから

だからうたをうたうの

2008年11月10日

seasons of love

英語の歌詞はこちら

525,600分

525,600分 貴重な刻一刻

525,600分

あなただったら 1年をどう測る?

晴れの日 日の入り 午前零時 淹れたコーヒー インチ マイル 笑い 諍い、、、

525,600分

あなただったら 人生の1年をどう測る?

愛で測ってはどう?

愛の訪れで

525,600分

525,600分で巡る旅路の計画

525,600分

男の人 女の人 それぞれの人生をどう測る?

学んだ真実 泣いた数 破れた夢 死に様、、、

今がその時 うたうのは

物語は果てしないけれど

祝福して

友人たちの人生にも 1年を刻もう

愛を忘れないで、、、

人生は天からの贈り物だよね

愛を忘れないで

わかちあい あたえ ふりまいて

愛で測ろう

人生を愛で測ろう

巡りゆく愛で

 

 

しょうさん、素敵なプレゼント、ありがとう!

2008年11月24日

No day but today

rent

観ました。

音楽がとてもよかったです。

そして、No day but todayについて、想いを巡らせてみました。

 

あえて、言葉で簡潔に表現するのならば、自分を愛することが出来なければ人を愛することが出来ない、ということ同様、現在を愛することができれば、時は動いて忌まわしい記憶は思い出となり、今が永遠となる。

だから、心と感情を解放して、愛しなさい。

そんなメッセージとして受け止めました。

 

ただ・・・自分の中ではどうもすっきりしないものも胸に残って。。。

言葉で言うは容易いけれど、心がすり減ってしまったり、切り裂かれてしまったり、ポッカリと穴があいてしまったり、プッツリと何かが途切れてしまったら、心を開いても何も出てこないのではないか、、、そう思えて。

そんなわけで、先週観てからも、あまり筆が進まなかったのですが・・・。

(つづく)

2009年01月13日

miyabi

ここ1年くらい茶道のお稽古は休んでいたのだけれど、初釜にお招きいただきました。

写真は先生の息子と娘。

掛け軸には「無事之吉祥」とありました。 

世相は殺伐としているだけに、こういう時間がもてるのはありがたいことです。 

2009年04月05日

問いを理解する

著者は、新研ゼミで小論文を担当していた方。
こんなコラムもネットに公開されています。


想いが通じる5つの基礎

  1. 自分のメディア力を上げる
  2. 相手にとっての意味を考える
  3. 自分が一番言いたいことをはっきりさせる
  4. 意見の理由を説明する
  5. 自分の根っこの想いにうそをつかない

実体験に基づく話満載でおもしろかったです。
そのなかで印象に残った言葉がひとつあります。

「『問い』なら通じ合える」

ということ。
どういうことかというと、問いに対する答えやその根拠はさまざまで、必ずしも他の人の意見に納得できるとは限らないけれど、問いの意味やそれについて考える課程は分かち合うことができるはずだということです。

教会では牧師さんがときどき「ビジョン」ということについて話をされるけれど、「ビジョン」ってなんとなく曖昧で、とらえにくい。
でもそれを「問い」の形におとしこめば、一緒に考えることができそうだ。

格言で「その人を知るにはその人の夢を知ることである」というのがある。
これは「その人を知るにはその人が立てた問いを知ることである」と言い換えることができるのではないか?

ただ、論文では問いの背景をきちんと説明するのがあたりまえだけれど、普段、人が立てる問いについてその背景を述べたり聞いたりする機会というのは限られている。
問いなら通じ合えるとは言うけれど、問いの背景を十分に理解するのはなかなか難しいことだよなとも思う。

寺山修司の「質問は一回しかできない」という言葉を思い出した。