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自然農 アーカイブ

2008年03月22日

畑のお引越し

実は、今年度から農園の場所が変わりました。
今までの農園はTKBの中でも片隅の里山の中の湿地帯にあったのですが、農園が大人気のため、拡張しやすい広々とした平野部に引っ越すことになったのです。

2月の頭から、区画を準備し、冬を越して植えていた作物をすこしづつ移動させて、ようやくほぼ終りました。

引っ越した作物は、にんにく、らっきょう、たまねぎ、アスパラガス、ほうれん草、ミント、葱、えんどう豆。

新たな植え付けも、着々と進行中です。
スナックエンドウ、ジャガイモ、とうもろこし、大根、人参、パセリ。また、今年は苗床もつくっていて、トマト、きゅうり、バジルの種まきを本日行ないました。

北方に位置するTKB山も麗しい、本日の一枚はこれ。

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2008年05月17日

ライ麦畑でつかまえた

・・・って、別に捕まえていないですけれどね。

ライ麦畑に立つ、つくし農園のお姉さんの後姿です。帽子がお似合いですね。

raimugi

今日は、少し前に収獲したほうれん草に引き続き、パセリとさやえんどうを収獲しました。
摘みたてのパセリは、独特なアロマがあるんですね。
そう、ライ麦畑のお姉さんのような香・・・。

kasa

・・・BACったら何、恥ずかしいこと言っているんだか・・・、ゴメンよMさん(汗)


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2008年07月18日

HANAKIN

一週間おつかれさまって感じで、気分よく部屋で飲んでいます。
つまみは、畑で採れたラディッシュとミニ大根をさっと茹でて、味噌をつけてシンプルに。
葉っぱは鰹節と醤油をかけて。
それから、あまり育たなかったちいさなちいさなラッキョウ漬けと、先日買ったトマトの最後のひとつ。

ん~、おいちぃ~~♪

ブログの更新をさぼっているけれど、先週末は昔の山仲間の結婚式の2次会に参加してきました。

お相手はKO大学出身だそうです。
何処の大学出身かというのは大した問題ではないのだけれど、みんな、多少そういうのを意識しているところがあるような気がします。

BACはあまり会うことがないのだけれど、世間ではKO大学の出身者はけっこういて、そういう会では校歌と前口上の披露することが定番になっているようです。

TKB大学にもそういう歌があって、外では聞かないけれど、内輪の山サークルの新年会では最後に円陣を組んで歌うのが定番になっています。

前口上はこんな具合。

古き名門に棲める乙女に恋するを、純情の恋と誰が言う、
貧しき老厩に棲める乙女に恋するを、不浄の恋と誰が言う、
雨降らば、雨降る日。風吹かば、風吹く日。コツコツという靴音に、
ああ、あれがTKB大の学生さんかと、胸ときめかすも客の手前。
数多の男に汚されし唇を、今宵もルージュに染め、
誰を待つのか、街角にたたずむ女。
酒は飲むべし、百薬の長。
女は抱くべし、これまた人生無上の快楽なり。
明けて醒むるは昨夜の未練、さあいざ歌わん、TKB大学宣揚歌!


ま、お約束のネタです。

昔の友人たちにはBACの身の上をずいぶんと心配される今日この頃だけれど・・・

"NO PROBLEM"

BACは畑で愛を育てていますからね。
blueberry

2008年09月28日

shizennoh

nohfu

自然農といわれるものを始めて、3シーズン目。

今年は新しい土地を開拓したということもあって、育つもの、育たないものの差が激しかった。

BACの畑で比較的うまくいったのは、オクラ、二十日大根、人参、ネギ、落花生(まだ収穫していないので最終的にはどうなるかわからない)。その他は軒並み育ちが悪く、収穫に至らないものも多かった。

ninjin1

rakkaseinoha

okuranoki

管理人の「雑草屋」さんも少し悩んでいるみたいだ。

農業は土作りが大事、といわれるけれど、自然農のやりかたでは、その土地まかせ。雑草を自然の堆肥として土地に微生物を育み、それらによって栄養素が土地に固定されることだけを頼みにしている。当然、その土地の生態系に沿わない作物は、あまりよく育たない。なにより、慣行農法のように化成肥料をやる場合と比べて、必須の栄養素が圧倒的に少ない。

でも、そのようなやり方に対して、BACはそれなりの合理性を感じて、面白さを見いだしている。

慣行農法では、雑草は栄養分を奪ったり、作物の生育を阻害するものとして嫌われるけれど、それは慣行農法の観点からすればそうなのだけれど、殊、自然農のやりかたから観れば、土地を肥やしたり、地温を保ったり、作物に対する病害虫の大発生を抑えたりと、益となる役割も少なからず担っている。

益と害。生物というのは、その平衡のもとで生きているのだということを観察して、それを楽しんでいるのかもしれない。

ところで、「自然農」ってなんぞや。

福岡正信さんの「自然農法」と、川口由一さんの「自然農」の間でも、考え方が違うように思う。

BACの理解では、前者は「育つものが自ずと育つ」、後者は「必要以上に手を加えずとも、作物は自ずと育つ」という思想あるいは事実の表現ということ。前者は収穫することは度外視しているのに対して、後者は収穫することは念頭に置いていて、必要な手を加えることには寛容。そして両者に共通するのは、人も自然の恵みと一体で生きているのだということを、表現している事。
それに伴ってと言っていいのかわからないけれど、「農業」から、人の「業」を無化して自然に一体化させる意志を両者に感じる。「業=エゴ」とみなして。

でも、農耕というのは狩猟採集とは根本的に異なっていて、人のエゴとは切っても切りはなせないものではないか。農耕が、人の育てたい物を育てるという特徴をもっているという点において。また、もっといえば、農耕に限らず狩猟採集だって、人のエゴとは切り離せない。生きるために必要なものを得る、という点において。

BACが思うに、釈迦にせよイエスにせよ、エゴがなかったかと言えばどうか??と思う。そうではなくて、エゴに身を委ねて破滅に導くことを問題視したのではないのか。そして、エゴから自由であれと説いた。
エゴは必ずしも否定しなければならないものではないし、必要なものを得るために必要な手をかけることは、むしろ自然なのではないか。植物や動物もそうやって生きている。

BACはあえて名付けるなら、そんな自由農をやりたいのかもしれない。

育つものが育てばよいというだけならいざ知らず、作物を育てるためには人の愛情が必要。
いろいろな人の畑をみて、畑の主体は人だという事もよくわかった。
もちろん、自然の恵み(太陽や水、生態系)が大前提だけど。

 

全然話は変わるけれど、自給自足ってなんじゃらほいと思う。

BACの身の回りにあるもの、食べるもののほとんど全ては、他の人がつくったもので、それは分業によって成立している。BACもなにか仕事をすることによって対価を得て、それと交換することによって、手に入れている。自分に外での労働力としての価値がなければ、自分で作らなければならないし、自分で作れなければあきらめるしかない。

と考えたとき、自分でなにが作れるのだろうかと思いめぐらす。

種がなかったらどうする、化成肥料がなかったらどうする、とか。

最終的には、自分が動けなくなったらどうする、となる。

うーん・・・。

それはそれで、示唆するところがある気もするけれど、日頃は○○があったら、○○ができたらどうする、というように、建設的に考えたいものだ。

さて、来期はBACの畑、どうしようかな!