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2008年04月17日

小さな「箱」

いわゆる自己啓発本を買うことはほとんどないBACですが、書評を読んでちょっと興味をもったので、買ってしまいました。

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』
hako

タイトルだけ読むと、「自分の殻に閉じこもった状態を打ち破るためのポジティブシンキングの勧め」、みたいな印象を受けるけれど、そのような安易な内容の本ではありませんでした。

本の構成は、主人公と、勤めている会社の上司の間の対話が中心になっているのですが、ちょっとした小説の趣もあります。
主人公はそれなりに仕事が出来る人で、これからの出世が期待されている人物という設定です。しかしながら、これまでのところ部下との信頼関係を築くことに失敗していて、本人はその原因を正しく理解していません。そこでみかねた上司が、懇切丁寧にその問題点を指摘し本人の自覚を促す、という展開です。
さらに、この主人公は家庭内でも問題を抱えていているのですが、一見まったく異なるそれらの問題が、実は同じところに原因の根をもっているのだということが明らかにされていきます。最終的には、主人公は苦しみながらも自らの非を認めて、事態が良い方向に向かいつつあるところで、お話は終ります。 BACは、登場人物である上司の指摘に、逐一考えさせられてしまいました。

では、引用をしつつ、もう少し本の内容について書いてみます。l

皆さんの周りには、「嘘で塗り固めた人」と表現するのがぴったりなイメージの人っていませんか?それがこの本で言うところの「箱に入った人」にあたります。
「嘘で塗り固めた人」のことを、この本では次のように定式化しています。

自分への裏切り 

  1. 自分が他の人のためにすべきだと感じたことに背く行動を自分への裏切りと呼ぶ。
  2. いったん自分感情に背くと、周りの世界を、自分への裏切りを正当化する視点からみるようになる。
  3. 周りの世界を自分を正当化する視点から見るようになると、現実を見る目がゆがめられる。(これを箱に入った状態と表現する)
  4. つまり、人は自分の感情に背いたときに、箱に入る。
  5. ときが経つにつれ、いくつかの箱を自分の性格とみなすようになり、それを持ち歩くようになる。
  6. 自分が箱の中にいることによって、他の人たちをも箱の中に入れてしまう。
  7. 箱の中にいると、互いに相手を手ひどく扱い、互いに自分を正当化する。
  8. つまり、共謀して互いに箱の中にいる口実を与えあう。

このように書いてみると、思い当たるフシがありませんか?

例えば、職場であいつはこういうところがどうしようもない、と陰口を言ったり、他の人が陰で自分のことを悪し様に言っているのを耳にして、「自分はちゃんとやっている!」と声高に(あるいは内心)叫んでみたり・・・。
BACのいる業界というのは、常に実績が問われているので、こういう状況がこれまでに幾度もありました。

もうひとつ、本の中から引用します。

箱の中にいるときに、しても無駄なこと

  1. 相手を変えようとすること
  2. 相手と全力で張り合うこと
  3. その状況から離れること
  4. コミュニケーションを取ろうとすること
  5. 新しいテクニックを使おうとすること
  6. 自分の行動を変えようとすること

嘘で塗り固めた人の正論が心に響かない理由。・・・結局のところ、それが自分を正当化するための言葉だから。

後ろの引用の6番では、自分の行動を変えようとすることも無駄、と言い切っています。補足すると、それは、表面的に行動を変えても無駄、ということです。
本書の結論は、前の引用の1番に立ち返って、自分が裏切っている事柄を自覚し、その裏切り自体を改善しなければならない、ということです。

人は、折にふれて、自分はちゃんとやっている、と自己弁護しがちだけれど、それは真っ赤な嘘。
何故なら、人はパーフェクトではないので、原理的に自分を完全に肯定することはできないから。

これはBAC自身も耳が痛いところ。自分自身に対する裏切りに目をつぶっていることが多々あるし、それを指摘されたとしても素直に認めることがなかなかできない・・・。

ちょっとこの本の主張からはずれるけれど、BACは聖書の中でひとつとても印象に残っている言葉があります。

マタイによる福音書5章33-37
また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな、そこは神の御座であるから。また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。


ものごとも自分自身も、必ずしも自分の意のままになるわけではないから、誓いなど立てれば、いつしかそれが嘘になってしまうことを示唆しているのでしょう。
BACの場合、自分が誓いを立てられるような人間ではないことはすでに十分に自覚しています。むしろ、絶望しかけているくらいです。
とはいえ、自分を変えていく努力を怠ることもまた、惨めな嘘に染まっていく始まりなんですよね・・・。

2008年05月11日

大根役者

ちょっと前に、図書館で勉強しているとえらそうに書いたけれど、脱線することもしばしば。

雑誌を読んだりして。。。

以下は、内田樹さんと斉藤孝さんの「コミュニケーション」をテーマにした対談を読んでの感想。


対談での主張の中で、BACの心に留まったものを箇条書きにすると、

  • 教師は役者としての資質も大事
  • レスポンス能力
    =常に頭だけではなく体も柔らかくしておくことが大事
  • メモをするときは、その人の話を聞いて、思い出したことをメモする
  • その人に会わなければ言わなかったことを、ひとつでもいいから言う
    =「一回性の回路」をその場でつくり出す能力が、コミュニケーション能力

これだけメモをしたのではダメだという事なので・・・

確かに、会話において、呼吸というのは大事だな、と思う。そして、体を柔らかくしていないと、敏感に呼吸を合わせることが出来ないことも。

BACが思うに、「コミュニケーション」という言葉はいろいろな文脈で使われるけれど、ここでは、連想ゲームのような含みがある。
言い換えれば、この対談全体としては「人と会ったら、連想ゲームをしてみましょう」という主張のように感じられた。
確かに、そのようなコミュニケーションのありかたを意識的に行なってみるのは楽しいかもしれないと思った。一方で、そのようなコミュニケーションのあり方はある意味テクニカルで、自分の中の引き出しもたくさん必要だなと思う。

BACの場合、元来大根役者なので、スムーズな受け答えは苦手なほうだ。特に最近は、ブログの中で「死にかけている」と表現したこともあるけれど、ある種の能力がほとんど失われてしまったので、どうにかこういう形で表現しているという意味もある。

また、役者は観客に向けて「気」を込めて言葉を発するわけだけれど、それには多大なエネルギーが必要だ。
それもまたテクニカルだなと思う。ただ、少なくとも、読んでくれているあなたに届く言葉を発したいなと思う。



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追記
特に特定の誰かに向けて書いたわけではないので、誤解なきよう・・・。

2008年05月20日

神様を信じますか?

教会に行くと、まずはこのように聞かれると思う。

あるいは、「イエス様を信じますか?」と。

BACは正直に言って、これが大の苦手だ。

何か符牒のように感じられたり、目が遠いところを観ているように感じられたり、上からの物言いのように感じられて。

いったい、信じるってどういうことなんだろう?

最近ではこんなふうに理解している。

人は、よくわからないことは、信じるより他ないのではないだろうか。
例えば、PCのしくみ。
はっきりいって、ほとんどどうなっているのかわからない。でも、とりあえず適切に動いていると信じて使っている。

神様の場合はどうか。
「神様はあなたのことを愛しているんだよ」と言われても、「神様は全ての人を愛しているんだよ」と言われても、とてもとてもそんな風には感じられないかもしれないし、世の中の現実は必ずしもそうではない。

まったくもって、意味不明である。
PC程に、信じることなんてできるはずがない。

「絶望先生」というシュールな漫画がある。
zetsubou

思うに、ジーザスも世の中に絶望していたのではないか。
「ものごとは、なるようにしかならない」と。

そのうえで、あえてこう言った。

「それでも、わたしは、あなた(神と人)を、愛していますよ」 と。

神など理解できなくても、ジーザスがそのように言ったことが事実であり、それが正しいと信じて、そのように生きられるならば、素晴らしいことなのかもしれない。


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2008年10月27日

偶然の祝福

syukufuku

小川洋子さんの作品、はじめて読みました。

小説家の「私」が主人公の連作短編集です。
いずれも、心の空白に訪れる、神様からの「祝福」を題材にしています。

ひとつは、・・・愛する弟の突然の死から始まった不幸から、身も心もぼろぼろになって、小説が書けなくなった「私」に訪れた祝福。

重傷を負って、そのリハビリのために通院を続ける「私」は天からの救いの手を渇望していました。
そんな折に知り合った一人の女性は、同じ病院の精神科に入院している弟を見舞うのが日課でした。度々顔をあわせるうちに親しくなり、ある日、どうにも気になっていた入院中の弟の身の上について、話を聞くことになりました。

それは、とても切ないものでした。

それは「私」自身の弟への思いと重なり、その話を小説にすることを決断した「私」ですが・・・。

 

BACがこの本をとったきっかけは、ご想像の通り、このブログのタイトルとリンクしたからです。

「偶然を廃棄せよ」

安易な答えに納得しない。
そんな思いも込めてつけた名前です。

でも・・・人は、必ずしも祝福とは言いがたい、必然ともいえる偶然に、どこかで身を委ねて生きていくものなのかもしれませんね。

 

BACのブログなどはとるに足らないものだけれど、真の表現とは、まだ見ぬ誰かに対して偶然の扉を開くようなものなのだろうなと思いました。

2008年11月29日

Geschichten vom lieben Gott

words

リルケ、大好きな詩人です。

作中、一人の詩人が、子供達に伝えたい神さまについての短いおはなしを13篇、身近な大人達に伝えていきます。
一つ一つは独立していて、どれもほのかな余韻を残すのですが、その個々の話をどういう状況とその流れで誰にどのように語ったか、そして、それが子供達にどのように伝わったか、というところで繋がっています。

昨年復刊したらしく、BACはちょっと前に購入したのですが、ゆっくりゆっくり読み進めていました。

"rent"を観てから数日後、手に取って開いた一篇は、偶然こんなお話でした。


語り部の詩人とその知人の慈善活動家が、森のほとりを通りかかった時、まだ幼い女の子が乞食に布施を差し出す場面に遭遇します。

少女の物腰は至極敬虔なものでしたが、かえって活動家は、そのような真心を受ける乞食に嫉妬を感じていました。その様子をつぶさに観た詩人は、今こそまさにあなたに伝えるべき昔の話がある、と切り出します。

 

われらを楽しませる青春の いかに美しくとも

たれがとどめえよう 青春は逃げ去り 悔いを残すのみ

されば 歓びは きょうに求めよ

定めない世の 明日知れぬゆえに

 

かつて、この詩を歌う人々は、ある性急さに襲われて、この今という一瞬になにかを築き上げるべく生きていました。
そんな人々のうちの一人の青年が、ある日、彼が恋心を抱く同胞の貴族で、少々気位の高い女性の鼻をあかしてやりたい気分にかられました。

その女性というは寺院の門前に並ぶ乞食達に、施しをすることを日課としていました。
そこで、その青年は、自分も乞食になりすまして施しを受け、その心根を見定めることを思いついたのです。

その日も、いつものように、女性は寺院の門までやってきました。

折しも、乞食たちの間で諍いがおころうとしていました。
というのも、乞食たちはその女性から受け取ることにある種の恍惚を感じているところがあって、新参者の闖入を疎ましく思っていたのです。

女性もまた、見知らぬ顔の存在に気づきました。
そしてひどく動揺しました。
これまで、顔見知りに施すことで安心を得ていた自分に気づき、また、この世に無数に存在するであろう乞食たちに想いを馳せてしまったからです。

女性は、つい青年の前は素通りして礼拝に臨みました。

動揺は礼拝の間も隠せませんでした。

止むにやまれず、女性は立ち上がりました。今しかないのだと。

再び門の前に戻り、乞食になりすました青年に、こう言葉をかけました。

「わたしはあなたのことを存じています。昔、わが家に飾りつけを施してくださった職人の息子さんですよね。お父様が忘れていったものがございます。」

それは口からでまかせでしたが、その言葉に素直にひきつれられ、ひざまずき、乞食の手に財布を握らせました。

しばらく女性はじっとしたまま、乞食が震えているのをひしひしと感じていましたが、やがて急いで寺院の中に逃げ帰りました。

その時束の間開けた扉から、賛美歌が流れてきました。

ボロを着た青年は、何を感じ思ったのでしょうか、そのまま地方に流れてゆき、貧しく暮らしたそうです。

 

 

"rent"の中でひときわ輝く人物。
路地裏で怪我をして倒れている見知らぬ人に声をかけて、こう名のります。

"I'm Angel"

与えるときも、与えるものがないときも、それに先立って、今という一瞬を愛として受け取っていればこそ。

乞食のなりをした青年の話は、こんなふうに続いたのかもしれませんね。

2009年01月23日

シーラ

本屋で久しぶりに強く本に呼ばれた。

感想。

金魚のように目玉を抉られるべきは自分かな、と。
不安に思うことはあるのだけれど、それでもきちんと向き合うしかない。

作中「星の王子さま」のキツネのエピソードがでてくる。
「キツネは偉い」と言っていた人のことを思い出す。

餌をあげるために通って、今日で1週間。
コータと同じ、白い犬。
名前すら知らない。
でも、撫でると尻尾を振るようになってくれたので、今日は初めて散歩に連れて行った。

コータと違って、生き物はうんちもするし、プライドもあるので大変だ。


毒気に当てられながら書いたので一回消した先の記事だけれど、再度公開にしておきます。

2009年02月21日

BACはときどき、「BACさんと○○さんはどういう関係?」
聞かれることがある。
(○○さんは不特定ね)

そういう時はだいたい「おともだちですよ」と答える。
実際そうだから。

「ともだち」以上の関係がこの世にあるのだろうか?

宇多田ヒカルさんは、
人知れずつらい道を選ぶ私を応援してくれるあなただけを友と呼ぶ
と歌っている。


上に紹介した作品にはハンプティ・ダンプティが「ともだち」として登場する。

村上春樹さんはこんな演説をしたようだけれど・・・

「ともだち」の意味ってよくわからないな。
ねぇ、コータ?