教会に行くと、まずはこのように聞かれると思う。
あるいは、「イエス様を信じますか?」と。
BACは正直に言って、これが大の苦手だ。
何か符牒のように感じられたり、目が遠いところを観ているように感じられたり、上からの物言いのように感じられて。
いったい、信じるってどういうことなんだろう?
最近ではこんなふうに理解している。
人は、よくわからないことは、信じるより他ないのではないだろうか。
例えば、PCのしくみ。
はっきりいって、ほとんどどうなっているのかわからない。でも、とりあえず適切に動いていると信じて使っている。
神様の場合はどうか。
「神様はあなたのことを愛しているんだよ」と言われても、「神様は全ての人を愛しているんだよ」と言われても、とてもとてもそんな風には感じられないかもしれないし、世の中の現実は必ずしもそうではない。
まったくもって、意味不明である。
PC程に、信じることなんてできるはずがない。
思うに、ジーザスも世の中に絶望していたのではないか。
「ものごとは、なるようにしかならない」と。
そのうえで、あえてこう言った。
「それでも、わたしは、あなた(神と人)を、愛していますよ」 と。
神など理解できなくても、ジーザスがそのように言ったことが事実であり、それが正しいと信じて、そのように生きられるならば、素晴らしいことなのかもしれない。
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