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何故?

「なぜ?と考えてみるのは大事だよ」

これは私の父の教えである。

世のお父さんであれば、子供になにがしかの訓示を述べるものだと
思うけれど、私の場合耳に残っているのはこの一つだけである。
私は律儀にその教えに従って生きてきたが、私の「何故?」に対して
父からその答えが聞かれたことはほとんどない。

以前のエントリーで、「人は何故勉強しなければならないのか」という
疑問について少し書いたことがある。
私の父は、私が勉強しても褒めることはしなかったし、ねぎらうことも
しなかった。その理由として、
「勉強は褒められるためではなく、自分のためにするものだからだ」と
いうことを常々述べ立てていた。

私は別に褒められたくて勉強していたわけでもなかったけれど、その
言葉には納得できない想いを抱えていた。そんなわけで、折に触れて
その答えを自分なりに求め続けていた。


私が大学院生だったときの話である。
学部の3年生が研究室に訪ねてきて、教授に質問をする機会があった。
その学生はやや不躾に、「研究は人を幸せにしますか?」と聞いた。

私は興味深々で教授の答えに耳を傾けた。
教授は、短くこう答えた。
「人の幸せを考えるより、自分の幸せになることを考えた方がいいよ」

当時の私は、その答えにちょっとばかり失望した。所詮研究なんて自己満足
の世界なのかと。

が、今であれば、その言葉の真意について、もう少し掘り下げてみる価値が
あると思っている。
教授はこういいたかったのではないか。
「自分が自然に幸せを感じられない状態で、他人の幸福を自己目的化する
のは、倒錯だ。学問の成果というのは、その多くは断片的なものであって、
それが直接的に人の幸福に寄与するものではない。人の幸せのために利用
可能な成果というのは稀だ。だからまず自分が幸せでなければ、研究を続けて
いくのは難しいよ。」と。

・・・ちょっと好意的にとらえすぎかもしれない。


話をもとに戻す。

「なぜ勉強をしなければならないのか」

別に、勉強したくなければしなくたっていいのである。人間誰しもバカの壁が
あって、それ以上のことはわからないのだから。
それよりも大事なのは、まず自分が幸せであることだと思う。自分が幸せで
あるとしたら、それが様々な恩恵の下にあることがわかるし、それがわかれば、
自分にはバカの壁があるけれども、それでも勉強しようかなと思うものだ。

コメント (5)

*Lunette*:

「勉強」と言う言葉。
二つのサウンズを持っていて、
一つはなんとな~く知りたいと言う「好奇心」にも聞こえ、
もう一つは「嫌な事への強制」にも聞こえたりして。
(^w^) ぶぶ!

瑠璃:

今・・私は幸せだなとつくづく思っています。そしてこの私の幸せな気持ちが家族も幸せにしていると信じています(笑)何故?って考える事は大好きです・・答えが見つからない事も多いけど、考える過程が好きなのです。

obasann:

人は自分のすることが誰かの幸せにつながったとき生き甲斐を感ずるものだというのが私の哲学です。大学生のときは根無し草のようでしたが学級担任になって初めて生き甲斐を覚えたことを思い出します。老後ピアノを習い始めましたが今ひとつ充実感がありません。また、子ども達に茶道を教えたいと願っています。

obasann:

追伸
何のために勉強するのか。それは自分の可能性を広げるため。そして自分の哲学を持つためだと思います。

BAC:

貴重なご意見、ありがとうございます。人に喜んでもらえるのは自分も嬉しいことですし、また、自分の可能性が広がることも素晴らしいことだと思います^^

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