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ありがちな齟齬

内田樹さんのブログにこんな記事があった。
「さよならマルクス」

一方、それに反論する池田信夫さんのブログの記事はこちら。
「さよならを言うまえに」

話題になっている教育再生会議に関するページはこちら。

私はマルクスをきちんと読んだことはないので、どちらの文脈理解が正しいのかは
よくわからない。
内容そのものはさておき、私がまず思うのは、言っていないことを言ったことにして
非難するのは議論じゃないということ。

どういうことかというと、内田氏は教育再生会議の論点を挙げて、次のように総括
している。

主な論点は
(1)「ゆとり教育」を見直し、授業時間数を増加
(2)いじめる子どもには「出席停止」措置。体罰に関する基準の見直し。
(3)高校で奉仕活動を必修化。
(4)教員免許制度の厳密な運用で、不適格教員を排除。社会人教員を大量採用。企業から学校へ課外授業講師派遣。
(5)教育委員会、学校を外部評価。
(6)家族や古里の価値を考える機運を効用。
などである。

要するに、「学校の中」と「学校の外」を同じ基準で律するということである。
これまで学校には世間には通用しない「学校だけのルール」があった。
世間は弱肉強食・競争原理のガチンコ・ルールで運営されている(はずである)のに、学校はそうなっていない。
そういうローカル・ルールはなくして、グローバル・スタンダードでいこうじゃないか、ということである。

私には、「要するに」以下の総括は不適切に思われた。

また、池田氏は内田氏を非難して、次のように述べている。

運動会で着順をつけるのが「差別」だからみんな同着にしよう、というように子供を競争原理からずっと保護し続けることができるなら、それもいいだろう。しかし彼らは、いずれ社会に出て弱肉強食の現実に直面する。競争原理から保護されているのは、業績に関係なく給料のもらえる教師だけだ。彼らのセンチメンタリズムを子供に押しつけることは、「子供を守る」どころか、社会で闘えず、現実に適応できないニートを増やすだけである。

内田氏は、競争原理からの保護について、そのようには言っていないと思う。

こういう、揚げ足取り的な非難は、なんだかな、と思ってしまう。

私が思うのは、教育の目的は両義的だということ。
内田氏が言いたかったのは、教育というのは人間性の涵養という目的があって、
その中には、競争にどっぷりと浸かっていては育めないものがあるだろう、という
ことだろうと思う。そこには一理あると思う。
一方で、池田氏が言うように、社会に出てから必要な基本的な能力の下地を作るのが
教育の目的であると言うこと。それも当然あるだろう。
これらをうまい具合に両立させるのが、学校教育の難しさではないかと私は思う。
教育再生会議の中間報告を読んでみて、両者をうまく折り込もうとする意志を私は
感じた。

・・・とまあ、ものは言いようで何とでも言えるわけだが、傍目に注目すべきは、
法律が具体的にどのように変わって、その結果現場ではどのような方策を実施する
ようになるのか、ということだ。友人には学校の先生も多いので、今後の動向を
静観しようと思う。

コメント (2)

しょう:

BACさん、こんにちは

自分の物差しを握り締めたままでは、いくら言葉を尽くしても相手には辿り着けませんよね

教育について考えるとき、なぜかいつもILLUSIONSの救世主入門「学習は、すでに知られていることを見つけ出すこと・・・」の件が頭をよぎります 

BAC:

しょうさん
はじめまして、ですよね?
コメント、ありがとうございます。何か、思うところがあるようですね^^詳しく聞いてみたいところです。

救世主入門ですか。近いうちに読み返して、なにかエントリーを書けるようにがんばります。また是非ともコメントして下さいね!

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