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職人気質

mixiの友人の日記でおもしろいのがあったので、引用のゆるしをもらった。

尊敬する柘植先生の文章を載せているウェブサイトを発見した。
反秀才論こぼれ話
先生からは航空宇宙の研究で修士号を頂きました。初めてNASAに行った日本人ということであこがれて研究室に入ったのですが、そこにいたのは僕のイメージする学者ではなく、鎌倉時代にいたであろう古武士でした。先生は学者であると同時に、超がつくほどの柔道家だったのです。日本文化をこよなく愛し、武士道とサムライの精神性をもつ本物の志士でした。それだけに先生の武勇伝には枚挙に暇がない。

やれ、「神谷君、サムライは座って半畳、寝て一畳あればそれでいいんだ!」とか、「研究は「一本」だけだ。有効や技ありなんかちんけなことを絶対するな!」とかよくいわれましたね。
とりわけ僕の好きな話はこれです。先生の若い頃、先生の理論が革新過ぎて学会で拒絶されたのですが、そのやりかたが人間のくさったような陰湿極まりない「いじめ」的手法で学会長みずからによるものでした。数年にもおよぶいじめに見かねて、柘植先生の取った最終手段は、とある学会のあとに帰路につく学会長を待ち伏せし、一本背負いでどぶに投げ捨てる、というものでした。まるで三四郎のようです。当然学会からは破門です。すごいですね。おかげで学生の僕達も国内で論文発表できませんでした(泣)

柘植先生は晩年子供に柔道を教えることをライフワークにしていましたが、その教え子がやわらちゃん(田村亮子)に勝つなど、その指導哲学が間違いでなかったことを次々と証明して見せていました。残念ながら数年前になくなりましたが、先生が常々仰っていた「柔道をしたまま、畳の上でコロっと死んでいきたい」の言葉どおり、子供との稽古中畳の上で亡くなりました。

先生のあまりに命がけの研究姿勢は当時学生だった私には少々荷が重く、衝突もいくつかありましたが、今社会人を経験するにつけ、その教えがとても貴重であったことを痛感します。

後年、先生は日本文化の「士農工商」という一流性は「工」をのこして崩壊し、その代わり「お公家」というもう一つの階級が復活していることに嘆いていました。公家とは平家などのやつらです。現代のお公家さん的人間とは、無感動無表情ののっぺりとした顔つき、つまり役人のような連中です。これが山手線に乗っているととても増えてきてきており全国に広がっていることを痛感するんだそうです。確かにそれは同感です。

そんな先生の古い日本文化への執着や情熱をしたためたのが「反秀才論」という本です。これは一読をお勧めします。そして我々門下生のために「反秀才論こぼれ話」というのが書かれていましたが、それがウェブにのっていたのでうれしくて日記にしました。でも実はよくみたらこれサイト後輩が立ち上げたものでした。みな同じ気持ちなんですね。

今日はこれを読みながらなつかしさに耽ります。



「士農工商」というと、近代化において取り払われるべき、封建的な身分制度、
という文脈で語られることが多い。

wikipedia:「士農工商」

だけど、もっと違う見方をしてもいいのではないか。というのも、私は日本人の
職人気質は、この制度によって作られてきたのではないかという気がするのだ。
あるいは、職人気質が身分制度を作り上げた側面があったとも言える気がする。

何故ならば、まぎれもなく、「本分を尽くす」という考え方が存在するから。

さて、現代では職業選択の自由が謳われていて、強制的に身分を定められるという
ことはない。誤解のないようにはっきりと言うが、それは望ましいことだと思っている。
ただし、「自由」という言葉の意味はよくよく考えてみるべきだと思う。巷では
「自由と責任は表裏一体である」という言説をよく耳にする。私は、そうではない、と
言いたい。自由ということ自体に自律という意味を含むのであって、自由に対して
義務的に責任が付随するのではない。つまり、職業を選択するというのは、自らの
本分を見定めて、それに邁進することだと理解するべきだと思う。
あるいは、巷では同様に、勤労の義務を放棄しているものとして、フリーターの人間を
揶揄する言説が流布している。それも間違っていると言いたい。江戸時代の武士だって、
仕官できずに困窮しながらも、自律的に生活を営んでいた人は多かったはずだ。

人間の営みが金銭的価値に極度に換算されてしまう現代のシステムは、いかんとも
し難く嘆かわしいけれど、それでも勤勉に生きることが、就職というものだ。そのように
理解することで、どれだけ多くの人間が救われることかと思う。



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