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全知全能

前回の続き。

全知全能の神様に自らを従えるとはどういうことか。

それは、人間とは無知な存在であると理解することである。
その上で、少しでも多くを理解できるように勉強するべく、自らを
促すということだ。
ただし、それでもなお本質的には人間には全知全能の神様の御心を
知ることなどできない。
しかし、それでは何の救いもない。現実的に人はいかに生きればよいのか。
そこに一筋の光を与えたのが、イエス・キリストであった。

旧約聖書の時代、ユダヤの国には律法という神様の言葉があった。
人はそれに従うことによって秩序を保っていた。しかし、それは断片
的なものであり、なおかつ不条理なものも含まれていた。

そこで、イエスは次のように言った。

マタイによる福音書5-33~37
また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果たせ』といわれていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。また地をさして誓うな。それは『大王の都』であるから。また、自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪からくるのである。

何に照らして、しかり、否と答えるべきか。
イエスはそれを真理と呼んだ。真理とはすなわち「神様はすべての
人を愛している」という基準である。

この核心をついた指摘により、イエスは最後の預言者となった。

現代ではここでいう「真理」のことを「法」と呼ぶ。「法治国家」というとき、
この大原則が基礎にあるのでなければならない。

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