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手招きする本

本屋に行くと必ず、「私を読みなさい」と呼びかけてくる本がある。

先日購入して読了したのは「イエスの生涯」、遠藤周作/著

「復活とはなんだ?」ということを考えてみるには、とてもよい本だと思う。
続編の「キリストの誕生」も近いうちに読んでみたいと思っている。

さて、内容についてだけど・・・

遠藤周作は、イエスが亡くなってから後の弟子たちの伝道者としての「復活」を重視
しているようだ。そして、生前行ったイエスの「奇跡」に関する記述については、やや軽く
見ていることが伺える。
遠藤周作は、弟子たちのように命を懸けて伝道する事に目覚めることを指して「復活」
と呼ぶ。そして、それを重視する。しかしながら、私が思うに、イエスが宣べ伝えたことは、
単純に「御心にかなった生き方とは愛を以って生きることだ」と言うことに尽きると思う。
それを理解した人々は、生き生きと蘇えったに違いないけれど、それこそが十分に「奇跡」
であった。

例えば、福音書にあらわされている、非常に有名であろうイエスの言葉。


マタイによる福音書13章12-13節
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。


人は一つの気づきによって、それを土台としてより多くを知ることが出来るようになる。
あるいはスキルの獲得にしても、ある能力を身に付けることによって、それを更に発展
させることができるようになる。それを理解するだけで、どれだけ人生が豊かになるか。
まして、人の愛情を汲み取ることができるようになれば、それを発展させて他の人に
深い愛情を注ぐことが出来るようになる。それに気づいた人は、まさに床を取り上げて、
立って歩き出したことだろう。

愛と真理に拠って生きることをいかなる時も貫こうとすれば、多くの困難がふりかかる。
イエスはその結果として十字架に架けられ、弟子たちの多くが殉教した。だけど、その
ような生き方は自らに課すべきものであって、他人に求めるべきものではない。それが
十全には成せなかったであろう多くの人々も、イエスの起こした「奇跡」の恩恵にあずか
っていたわけで、イエスの「死」による「復活」だけではなく、「生」による「奇跡」もまた、
目を見張るようなものだったと思う。


ところで、私は度々ブログ中で神様やら聖書について言及しているけれど、私自身は
クリスチャンという自覚はいまのところない。まして、イエスのように命がけの愛を他人に
与えられる自信などまったくない。
だから、ホームページの掲示板に残された「ブログの更新を楽しみにしています」という
クリスチャンらしき女性(女の子?)からの書き込みを見ると、中途半端な投稿はできない
な、とプレッシャーを感じてしまう。
でもそこで気負うことなく、こういう話題についても思うところを素直に綴っていけたらいいな
と思っているので、応援してくれるのはとても嬉しい。

コメント (2)

モト:

日本人とキリスト教を考えるなら、「沈黙」もいい本だと思います。人間はそこまで強くは、ない。

BAC:

モトさん
コメントありがとうございます。
実は私は高校時代に「沈黙」を読みかけたのですが、内容に入り込めずに途中で挫折しました。当時の私は信仰なんてものを考えてみることもなかったですからね、無理もない。今週末、実家に帰るので、そのとき本棚から引っ張り出してみようと思います。

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