about "BAC"

come with me !

RSS feed etc.

偶然を廃棄せよ!

log in

Creative Commons License

« 田植え完了 | メイン | フラストレーション »

コミュニケーション考

コミュニケーションの本質は、互いに普遍的な事柄を確認し、
共通了解を得ることだと思う。共通了解が得られないとき、
人は、反りが合わない、とか、話がかみ合わない、と表現する。
その溝を埋めるためには上手な対話が必要だし、そのために
あれやこれやと苦心する。
コミュニケーションの意義としてそのようなことが挙げられる
一方で、対話の労を避ける形で、人は同様の考え方、感じ方
をする人たちで集まってしまう傾向がある。ネットにおける
コミュニティーというのは、その最たるもので、自分の興味関心、
共感のある方向へと流れていく。それが楽で快適だから。
確かに、それもまた意義のあることだ。そのようにして共感を
得ることで、人は救われている面がある。でも、実際の生活の
中では、前者を大事にしなければならない事の方が多い。

私がそれを強く意識するようになったのは、大学で研究室に
所属したときのことだ。それまでは、自分の興味のあるものを
中心に、気の会う仲間と付き合い、自分の学ぶべきに従って
関心の幅を広げてきた。でも、研究室にいる人間は、必ずしも
気が合うから一緒に集まっているわけではない。それぞれに、
異なった背景と志向性を持ち、同じ場所にいたとしても、各々は
全く違う状況に置かれている。それゆえに対話自体が成立しない
ことが起こりうる。
あるいは、そこで同じ方向性を持った人間が集まっていたとしたら、
互いを比較の対象として見てしまうという事態が生じる。「おまえに
いわれたくない」みたいな。そして、往々にして力のあるものが
一方的に場を制することになる。

対話の不成立を避けるためには、なにより相手を心から尊重する
ことが必要だ。そして対話の双方向性を考えれば、必然的に、
自分自身も尊重されうる真摯な生き方をしていなければならない。
つまるところ、自らが大枠として正しい、もしくは普遍的でなければ、
コミュニケーションは成立しないという事だ。

仮に私が述べたことがその通りだとして、大枠として正しいとはどう
いうことだろうか?
おそらく、キリストは、それを、「真理」と呼んだはずだが。

↓イイタイコトをわかってもらえたら、苦しまぎれにクリックお願いします!
blog ranking

コメント (2)

*Lunette*:

100%共感します♪
他に何も言う事はありません。(笑)
BACさんが、そういう考えの人で嬉しいです。
(*'ー'*)ふふっ♪

BAC:

言葉をじっくり選んで、最後はちょっとだけ含みも持たせて結びました。そこらへんの意図も汲んでもらえたようで、嬉しいです。
^^
「大枠として正しい」と表現したのは、それは絶対的なものではないからです。キリストも『「真理」とは「知っている」と表現できるものではない』ことを述べていて、うまいなぁと思ったことがあります。

コメントを投稿