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共有感覚

人は、自分が持っているものに応じて関係を持つことができる。
どういうことかというと、人は自分がもっているものを通じてしか
他と交流することができないということである。すなわち、自分に全く
ないものとは関係を持つことは不可能であるということだ。
さらに付け加えると、自分が持っているものをすこし拡張した未知の
ものについてのみ新たに気付くことができ、自分が発見した分だけ
新たに自分のものとすることができる。
このように獲得するものを具体的に挙げると、言葉、観念、技能、
思考、知識、感覚などである。キリスト教的に言えば、肉的なもの
である。
しかしながら、これらは何らかの方法で獲得したものである以上、
いつか必ず失われるものである。このような性質のものは有限で
あり、全ての人で共有することは出来ない。だから人は儚さや尊さや
孤独を感じる。

じゃあ、全ての人で共有できるものはないのか?
そんなことはない。
人間はみんな人間であるという点で平等で共有できる。
「法の下の平等」という言葉は堅苦しく聞こえるけれど、もっと
理解されてよいはずだ。

全ての人が共有しうるものは、スタートラインに立っていると
いうことであり、神様と繋がっているということであり、盗人の
ようにやってくる何ものかを得ているということであり、常に
鋭敏であるということであり、調和を得ているということであり、
全的であるということであり、霊的であるということであり、
からし種のように膨らむ天国であり、自由であるということであり、
色即是空、空即是色であり、仏法であり、神の愛そのものである。

神様が全ての人を愛しているということが真理であり、全ての人が
共有できるからこそ真理なのである。

表現の方法は多様だけれど、つまりはそういうこと。違いますか?
意味不明ですか?オカルトチックですか?

大丈夫、正気です!