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求心力の要

民族を民族たらしめているものは、求心力の要をなんと
するかに拠っている。求心力のないところに民族はないと
言っても過言ではない。日本であれば天皇がその役割を
果たしてきたことは事実だろうと思う。

求心力はあらゆるところに存在するので、実に興味深い
テーマだ。
以下に思うところをつづってみる。

求心力の要は、いわば秩序をもたらすために便宜的に
設定されたものである。人は生の欲求を一点に収束させ
たがる性質があるから、それを加味しておおきくとらえる
ならば、ある種の統合をもたらすためには単一の中心点
を設定することが必要かもしれない。
しかしながら、この中心点はいかようにも設定が可能だ。
Aという人物がaを奉り、それを否定するBはbを奉る。
このような形で要が複数設定された場合、それらは決して相
容れることがなくなってしまう。
したがって、真に調和を得るためには求心力のないところに
統合を見出さなければならない。

このような思想は旧約聖書の中にも見て取れる。
「バベルの謎 ヤハウィストの冒険」 長谷川三千子/著
の中で、著者はバベルの塔の物語について大胆な考察を
おこなっている。
一言でいえば、この物語を描いたヤハウェスト(預言者)は、
一般的に言われるように、バベルの塔を神への不敬たる文明
の象徴として描いたのではなく、固定的地点に根を降ろそうと
する人間の心理の象徴として描いたとする論考だ。
とても興味深く読んだ記憶がある。
もっともこれはひとつの論考であって、既存の宗教的な教義を
否定するものとして読むこと自体は愚かしい限りだ。

思うに個人の内でも家族やその他の集団においても、求心力の
設定とはいわばひとつの演出である。子供は反抗期を経て
家を出て行くのと同様に、設定された求心力はしかるべき時に
昇華されなければならない。そしてこの「しかるべき時」と
いうものもまた、明確な時点として予定された絶対的なもの
ではない。それは予期せず訪れるものでなければならない。

さて、現在のあなた自身の内に見出される求心力の要とは
なんですか?

コメント (4)

のち子:

求心力って、ほんとに演出でしかないのかな~。求心力っていうものを特別持っていない人が客観的に見ると「演出」に見えるのかもしれないけど、心の底からそういうものを持ってる人は、疑いもなく、強い信念なんだと思う。

BAC:

求心力はまさに信念そのものだと思うよ。信念を持っている人は当然それを演出だとは言わない。
それで、その信念が本当に普遍的なものであればよいのだけれど、そうでなければ別の信念と必ずぶつかりあうよね。
こういうからといって、別に信念を否定しているわけではなくて、抽象的な言い方をすれば「神様はすべての人を愛している」ということは疑いなく思っているよ。
でも、じゃあ具体的にどうなんだといわれると難しい。その場その場で悩んで、たぶんこうなんじゃないかって答えを導いて、それに身をゆだねるしかない。
そのようにして下した決断を「演出」などと呼んで軽んじるつもりはないよ。このような決断は信念とはちょっと違うよね。どうだろう?

のち子:

私は神様に愛されているっていうことを思ったところで、さほど力は沸いてこないのだが…
どんなときでも、どんな悩みでも、悩んで答えを導くその過程の中で、自分自身に何か強い信念があれば、絶対に自分が目指す方向へ向いていくと思う。(揺らいだり、寄り道もするけどさ)そういう強いものを持っていたい。最終的な目標は世界平和かな(笑)

BAC:

んー、力が湧いてくるというのとは違うかなぁ。そうでなけりゃ駄目だろって感じ。
別に世界平和を祈っているわけでもなし。
まあ、我が身をなんとかしたいね、ははは。
のち子さんには目指す方向があるんだ。ちらりとのぞいてみたいにゃ(是)。

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